絶版希少本 豪華愛蔵版 安東聖空 『聖空百人一首』大型本 かな書道第一人者 奥田元?宋? 装幀 フルカラー作品集 扇面 色紙
安東聖空 著
講談社
1977年
定価 45,000円
フルカラー
約210ページ
本体 約36x26.5x3.8cm 布張り和綴じ特装本
帙函 約39.5x27.5x5.5cm 布張り
段ボール輸送箱 約43x32x6cm
※絶版
日本のかな書道の第一人者、安東聖空の百人一首を題材としたかな書作品集。
「ひらがな」と「平易な漢字」とを以て、おのずから「日本美」をあらわした作品を集めたもの。
日本芸術院会賞・文化勲章受章の奥田元?宋?による装幀、
大塚巧藝社の高級な技術の粋をつくし、原本に最も近い印刷を得て発刊。
帙入、和綴じ製本、1ページに一首ずつ、大型本のため全百首を網羅しており、
安東聖空の筆致を細かい部分まで鑑賞することができる豪華愛蔵版。
安東聖空の作品集は、その功績にもかかわらず現在は数少なく、
これだけ大きく忠実に、料紙の色や質感までも作品を再現した本書は、
かな書道、書家、掛軸、和歌、日本美術等、手本にも、愛好家必携の
大変貴重な資料本です。
【跋 あとがき】
私はこの六十年間、いわゆる古筆切といわれる「上代?がな」に目をさらさない日は殆どなく親しんできた。どの名蹟に接しても読めないものは一つもなく、非常に身近に感じながらいずれもが私の心を強く感激させないものはない。かくも平易な書きぶりが何故に高級な芸術品として、万人に敬愛され千古に伝承されるのか、換言すれば、平易至極で誰でも読み得る「かな書」が何故にこのように高級な芸術品となり得たか。それはとりもなおさず「美しい日本的な心」が何のたくみもなくごく自然にこもり、更に時代?的な特異性が自ら表現されているからであろう。
その証左を今ここに詳細にあげ得る字数を得られない事を実に遺憾に思うが、この「聖空百人一首」は、つとめて読みやすく、即ち「ひらがな」と「平易な漢字」とを以て、おのずから「日本美」が表現出来るように努力した作品を集めた。
幸に講談社は私のこの主張を認め、書物の名も前記の如く「聖空百人一首」と定め、印刷もこの道の権威、大塚巧藝社の高級な技術の粋をつくし、原本に最も近い印刷を得て発刊された。
私はここに両社に深く感謝の意を表する。
なお、日本芸術院会員、奥田元?宋?画伯が特にお心入れを賜り見事な装を得た。厚く御礼申し上げる。
昭和?五十二年六月 安東聖空
【目次】
天智天皇(秋の田の)
持統天皇(春過きて)
柿本人丸(あし引の)
山辺赤人(たこの浦に)
猿丸大夫(おく山に)
大伴家持(かさゝきの)
安倍仲麿(天の原)
喜撰法師(わか庵は)
小野小町(花の色は)
せみ丸(これやこの)
参議篁(わたのはら)
僧正遍昭(天つ風)
陽成院(つくはねの)
河原左大臣(みちのくの)
光孝天皇(君かため)
中納言行平(たちわかれ)
在原朝臣業平(千早振る)
藤原敏行朝臣(住の江の)
伊勢(難波潟)
元?良親王(わひぬれは)
素性法師(今来むと)
文屋康秀(吹くからに)
大江千里(月見れは)
菅家(この度は)
三条右大臣(名にし負はゝ)
貞信公(小倉山)
中納言兼輔(みかの原)
源宗于朝臣(山里は)
几河内躬恒(心あてに)
壬生忠岑(有明?の)
坂上是則(朝ほらけ)
春道列樹(山川に)
紀友則(久方の)
藤原興風(たれをかも)
つらゆき(人はいさ)
清?原深養父(夏の夜は)
文屋朝康(しらつゆに)
右近(忘らるる)
参議等(あさちふの)
平兼盛(しのふれと)
壬生忠見(恋すてふ)
清?原元?輔(契りきな)
中納言敦忠(逢ひ見ての)
中納言朝忠(逢ふことの)
謙徳公(あはれとも)
曽根好忠(由良の門を)
恵慶法師(八重むくら)
源重之(風をいたみ)
大中臣能宣朝臣(御垣守)
藤原義孝(君が為)
藤原実方朝臣(かくとたに)
藤原道信朝臣(あけぬれは)
右大将道綱母(歎きつゝ)
儀同三司母(忘れしの)
大納言公任(たきの音は)
和泉式部(あらさらむ)
紫式部(めくりあひて)
大弐三位(有馬山)
赤染衛門(やすらはて)
小式部内侍(大江山)
伊勢大輔(古の)
清?少納言(夜をこめて)
左京大夫道雅(いまはたゝ)
権中納言定頼(朝ほらけ)
さかみ(うらみわひ)
前大僧正行尊(もろともに)
周防内侍(はるの夜の)
三条院(心にも)
能因法師(あらし吹く)
良暹法師(さひしさに
大納言経信(夕されは)
祐子内親王家紀伊(おとにきく)
前中納言匡房(高さこの)
源俊頼朝臣(うかりける)
藤原基俊(契りおきし)
法成寺入道前関白太政大臣(和田の原)
崇徳院(瀬を早み)
源兼昌(淡路しま)
左京大夫顕輔(秋風に)
待賢門院堀川(なかゝらん)
後徳大寺左大臣(時鳥)
道因法師(おもひわひ)
皇太后宮大夫俊成(よのなかよ)
藤原清?輔朝臣(なからへは)
俊恵法師(夜もすから)
西行法師(なけゝとて)
寂蓮法師(むら雨の)
皇嘉門院別当(なには江の)
式子内親王(玉の緒よ)
殷富門院大輔(見せはやな)
後京極摂政前太政大臣(きりゝゝす)
二条院讃岐(我が袖は)
鎌倉右大臣(世の中は)
参議雅経(みよしのゝ)
前大僧正慈円(おほけなく)
入道前太政大臣(花誘ふ)
権中納言定家(こぬ人を)
正三位家隆(風そよく)
後鳥羽院(人もをし)
順徳院(もゝしきや)
装幀 奥田元?宋?
【安東聖空】
(あんどう せいくう、1893年8月19日 - 1983年3月3日)
日本の書家。文化功労者。別号に梅雪
来歴
兵庫県生まれ。1914年姫路師範学校(現在の兵庫教育大学)卒、1922年兵庫県立神戸第一高等女学校(現在の兵庫県立神戸高等学校)教諭。20代?後半より日下部鳴鶴の門人、近藤雪竹に師事して漢字を学ぶ。
かなは、平安朝の代?表的古筆『粘葉本和漢朗詠集』に範を求め独習。1925年桑田笹舟らと正筆会を結成。
1929年かな書道研究誌『かなとうた』を創刊。1953年の日展出品作を文部省が買い上げ、1957年には戦後初の式年遷宮を迎えた伊勢神宮の社宝として作品が永久保存された。
第二次世界大戦後は『正筆』を創刊、主宰する。
1948年日本書芸院副会長、1950年日展審査員、1951年兵庫県文化賞受賞、1954年日展参事。1958年日展評議員、1970年参与、1973年顧問。1961年日本芸術院賞受賞、1968年勲四等旭日小綬章受章、1972年日本芸術院会員、1974年勲三等瑞宝章受章、1980年文化功労者。1982年正月に宮中歌会始召人。
古典に裏打ちされた清?楚なかな美が多くの支持を集め、かな書壇の重鎮として活躍。手本『梅雪かな帖』全3冊、著書『古典かなの美』全3巻がある。